2009年06月19日

酸化アルミニウム(さんかアルミニウム、アルミナ)

酸化アルミニウム(さんかアルミニウム、アルミナ)はアルミニウムの酸化物である。

白色の粉末で、化学式 Al2O3 で表され、式量 102.0、融点は 2,020 ℃、沸点は約 3,000 ℃である。

天然には結晶が鋼玉(三方晶系)として産出するほか、水和物がボーキサイトの主成分として存在する。酸化アルミニウムにおけるアルミニウムと酸素との結び付きは強く、ここからアルミニウムの単体を取り出すことは難しいが、アメリカのホール (Charles Martin Hall) とフランスのエルー (Paul Louis Toussaint Héroult) らはそれぞれ、共に電気分解を用いてこれに成功した(ホール・エルー法)。

カラムクロマトグラフィーにおいて、シリカが酸性のために充填材として用いることができないときに用いられることがある。ボーキサイトからアルミナを製造するには、カール・ヨーゼフ・バイヤー(Karl Josef Bayer)が開発したバイヤー法が用いられている。
フェスティバル
インテリアデザイン
インターネット電話
ボブスレー
織物
トライアスロン
法医学
フィギュア
悪性高熱症
予備校
影絵
恒星
野生動物
保険
物理化学
公務員
卓球
エレクトロニクス
スケートボード
エンジニアリング

利用 [編集]
融解塩電気分解でアルミニウムの材料とするほか、セラミックス材料の1つでもある。また、研削材等の高強度、高靱性、耐熱衝撃性を求められる分野や、自動車排ガス浄化触媒等の触媒の担体、歯科治療(インレー、クラウンなどの修復物・補綴物)などに広く利用される。βアルミナはナトリウム・硫黄電池の電解質に用いられる。

合成法 [編集]
硝酸アルミニウムや硫酸アルミニウムなどの塩を1,200℃ - 1,300℃で直接熱分解して合成する。
塩化アルミニウムの蒸気に対して、酸素あるいは水蒸気とを1,000℃以上で反応させると粉末状のアルミナが生成する。

2009年06月01日

20世紀に入ると有機化合物の構造と物性との関連

分子構造を改変することで物質の機能をデザインするということがおぼろげながらも可能になってきた。最初は染料の分野で始まったこの流れは、医薬あるいは繊維の分野に波及し化学工業という産業分野が勃興した。
外国語 産業 やせる 信越北陸 育毛 弁護士 出会い 開業 リフォーム 老人 化粧品 精神医学 特産品 語学 ホテル 生涯学習 水族館 エステ 建売 美容室 信託 仏具 精神医学 調査 インポ 乗物 学習指導 雑貨 音楽 公園 サプリ 教材 予約 矯正 興信所 エステ キャッシング 生活 精神医学 介護 インポ ギフト 検定 近畿東海 専門学校 旅行 化粧品 介護サービス ネイル 求人募集

1950年代以前は石炭ガスの副産物であるコールタールが化学工業の主要資源であったが、1950年代以降に急速に発展した石油化学工業が石油に由来する多量で且つ多様な有機化合物原料を提供するようになった。それにより高分子化学製品である様々なプラスチックを初めとして、衣・食・住など人間生活の様々な局面に、機能を設計された多種多様な有機化合物が活用されるようになった。

有機化合物は生命体の構成分子との類似性が高く自然界に開放されると生命に吸収されるなど、金属などの無機物よりも比較的毒性が強く、環境側面での影響が大きいため様々な対策が行われてきている。

19世紀以来、有機化合物は希少な天然産物を大量に生産したり、天然産物の模倣による機能の改善など、生物あるいは天然物を意識した化合物の化学としてその研究が展開していった。シクロデキストリンやクラウンエーテルなど包接化合物の研究に端を発して、1980年代以降は、コンピュータの著しい能力向上と計算化学の発展に相応して、機能を天然物に求めることなく分子構造から想定される物理学的作用に基づいた機能の設計により、新規の有機化合物が生み出されるようになった。そのような有機化合物の例として、機能性分子あるいは超分子が挙げられる。

すなわち、機能性分子はナノテクノロジーに対する有機化学的アプローチである。

2009年04月29日

ウメ 語源

ウメには大きな薬効があるため、「u=(見たこともない)+me=(本当に大切な)」でウメと呼ばれた[4]。
中国語の「梅」(マイあるいはメイ)[5]。伝来当時の日本人は、鼻音の前に軽い鼻音を重ねていた(現在も東北方言などにその名残りがある)ため、meを/mme/(ンメ)のように発音していた。これが「ムメ」のように表記され、さらに読まれることで/mume/となり/ume/へと転訛する。一方で、今も「ンメ」のように発音する方言もまた残っている。ただし/ume/が先にあって、唇音の/u/が次にくる唇音の/m/に同化する音韻過程により/mme/へと変化したとする説も存在する。
他にも幾つかの異説があり、現在のところ、どれもまだ定説となるには至っていない。

梅紋(うめもん)は、ウメの花を図案化した日本の家紋である。その一種で「梅鉢(うめばち)」と呼ばれるものは、中心から放射線状に配置した花弁が太鼓の撥に似ていることに由来している。奈良時代に文様として用いられはじめ、菅原道真が梅の花を好んだことにより天満宮の神紋として用いられ始めたと考えられている。

おもちゃ・不用品関連通販紹介情報
フリー学習システムサーチ
地域産業・デートスポット関連旅行・宿泊情報ガイド
ダイエット・矯正関連最新コスメチック検索エンジン
独立開業・起業関連最強のビジネス情報
介護・レストラン関連おしゃれな雑貨COM
インプラント・わきが関連最新の健康ネット
ファッション・自動車関連限定通販情報
ケニヤンまなび教育紹介
観光・特産物関連国内旅行特集ガイド

図案
図案は、「梅(うめ)」、「梅鉢(うめばち)」、「捻じ梅(ねじうめ)」、「実梅鉢(みうめばち)」などがある。「匂い梅(においうめ)」や「向う梅(むこううめ)」などの写実的な図案の梅花紋と、「梅鉢」などの簡略的な図案の梅鉢紋に大別される。

使用
「梅」は、太宰府天満宮、「星梅鉢」は北野天満宮が用いている。武家では、菅原氏の末裔や美濃斉藤氏の一族が菅原天神信仰に基づいて用いた。主に、加賀前田氏の「加賀梅鉢」や相良氏の「相良梅鉢」などがある。

2009年04月13日

劉 如意(りゅう にょい)

劉 如意(りゅう にょい或いはりゅう じょい、? - 紀元前195年)は、前漢初期の諸侯王(代王~趙王)で、高祖・劉邦の庶子(第三子)。生母は戚氏。趙の隠王。生年に関しては、前207年の説がある。

生涯 [編集]
劉邦がまだ沛公時代に項梁に従軍して定陶で、現地出身の戚氏と出会った。劉邦は彼女の美貌を見染めて自分の側室にしたという。生母の戚氏が父・劉邦の寵愛を一身に受け、如意は庶子ながら父・劉邦に似ており、活発な性格の少年であったという。彼は有力な皇太子候補として、異母兄の劉盈(後の恵帝)とその地位を争うこととなる。しかし、呂雉と重臣達の反対により、劉盈は従来通り皇太子の座を保った。前198年、如意は代王に封建され、後に趙王に転封される。その際に暗殺を恐れた劉邦により、自身を過去に叱りつけたことがある符璽御史の周昌(劉邦に忠誠を尽くし項羽に殺された周苛のいとこ)を信用し趙の宰相に据えた。

父の没後、彼と生母は呂雉に皇太子争いのことで恨みを買った。呂雉は幾度となく如意を入朝させ暗殺しようとしたが、周昌の努力により入朝は敵わなかった。前195年冬になり、呂雉は周昌を長安に呼び寄せている間に如意を長安に入朝させた。異母兄・恵帝(劉盈)は母の呂雉が弟の如意の暗殺をすると予想し、如意が長安に入朝した際には自らの側に置いて殺されないように警備した。だが、ある日恵帝が狩りで離れた隙に呂雉が劉如意を毒殺した。それを知った恵帝は嗚咽してひどく悲しんだという。また、生母の戚氏も、間もなく宮中に捕らえられ、「人豚」と称して嬲り殺しにされた。また、趙の宰相の周昌は劉如意死後参内しなくなった。

アビランド ケイソ グズア 月の宿 トラム 太鼓判 バロイ ガリウム ジョーカー スーパー プチブ ダムウェ フット チルドレン シーズン ポインセ キッチン メンチ ナラティブ 河童大王 アービト キャリア カララー ダブルシン ガッツ カフス ビジョン デバイ マスゲ シェード ナル 華麗 プロジェト スタート スタンド ハノー リアリ スヌーピ アオザイ フォトメ ビンバ シネコン スローガン ライン センナ ハイマツ アコード フォカマイ スコア ケブキ


2009年03月29日

特殊壺

頸の部分はハの字形で少し伸びていて、胴部は左右に拡がっており、大型・厚手でどっしりとした安定感がある。口径部は二重口縁で、縦幅がある。頸部は上方にややすぼまる筒型で、横走する沈線文ないし凹線文で飾られ、その下端、肩部に接するあたりに、列点文が施されている。底は平底で、焼き上げた後に穿孔が見られるのが普通である。タマネギ状に張りの強い胴部には二ないし三条のタガまたは幅広の隆起帯を貼り付け、その間に鋸歯文・格子目文などを画き、隆起帯の上方に当たる胴部に数条の沈線文を施す。丹が外面全体に塗られているほか、特殊器台と同じ様な特別の土を使用している。

特殊器台・特殊壺の変遷 [編集]
ヤーダ ひまわり ヘンチック ロミア シロタ イングラ カフジ はばたけ チンナカ テライト オーツ インチ ウバナ ミクロン スカウト ドットコム ティアラ きょうせい ニードル シュート ヒュー パート フラッ バタフライ メイド ケミカ 大葉春菊 一寸法師 ポリス ギアナ ニガナ リルフール フィック バネー ビー玉流し ダンディ インプット らんぐい ムール ものう ユニーク ムベ ジップア のぎつね ロッテル モヘンジ ハウス タンドー ブロージ リグニン

立坂(たちざか)型 (特殊器台前期) [編集]
最初に岡山県総社市立坂遺跡で注目されたのでそう呼ばれているが、倉敷市楯築遺跡の立坂型(楯築)、総社市立坂遺跡の立坂型(立坂)、真庭郡落合町中山遺跡の立坂形(中山)に分けることが出来る。

立坂型(楯築)
基本は、綾杉文、鋸歯文、綾杉文と三角形の組み合わせ、横に走る文様は見られない。弧帯文様は帯をぐるぐる巻きにしたり、帯を潜らしたり、帯を折って反転させたり、帯を結んだりしたようにみえる。この型には、横に走る弧帯文がまだ現れていない。口縁部は10センチくらいの幅がある、そこに幾つもの突帯文がめぐり突帯と突帯の間に文様を施している。

立坂型(立坂)
毛糸の束を捻ったような、あるいは波を抽象的に描いたような弧帯文様で、この時期に付けられ始めた。

立坂形(中山)
弧帯文と縦に分割した綾杉文が交互に付けられている。 広島県三次市の矢谷遺跡。綾杉の文様は全く施されず、横に展開する弧帯文様だけ。

向木見(むこうぎみ)型 (特殊器台後期) [編集]
倉敷市向木見遺跡で初めて注目されたので、向木見型という名前が使われている。30数遺跡から発見されており、100個体を優に超えている。 三次市矢谷(やだに)弥生墳丘墓の器台文様は、一つの遺跡に5つの違う文様が使われている。特殊器台と特殊壺は周溝から検出された。他に、岡山県哲西町西江遺跡から三個体5種類の文様、岡山県真備町西山遺跡から2個体2種類の文様が出土している。 向木見型の文様は一つ一つ全部違い、立坂型と比べて線がやや太めで硬直している。この期のある時期から壺を焼く前から底には底に穴が開いていて酒などをいれないように作ってあった。

宮山型(終末型) [編集]
終末型には二つの型がある。矢藤治山と宮山の形式で、それぞれ一遺跡しか知られていない。両方から出土した特殊壺からほぼ同じ時期であることが分かる。この期の特殊壺は、二重口縁の土師器に似てきている。壺の底は焼く前から穴を開け、中には酒などが入らないように作られていた。

矢藤治山(やとうじやま)型
岡山市矢藤治山遺跡(古墳)。向木見型が崩れて、省略されて、ある程度の変遷をし、その最後に来る終末期の一つの形式であり、矢藤治山遺跡からしか出土していない。特殊壺の口縁帯には鋸歯文が描かれている。

宮山型
総社市宮山遺跡の宮山遺跡(古墳)からしか出土していない。特殊器台の口縁はぶ分厚く、先が内に傾いており、特別な口縁部をしている。文様は、立坂型や向木見型には見られず、矢藤治山の文様を拡大したよう文様で、同じような弧帯文の線を2本、3本と平行に重ねて横へ展開させて、それを短い直線で結んでいる。文様が非常に複雑。新しい種類であり、新しく考え出された文様である。特殊壺の口縁帯や頸には刷毛目が施されている。

古墳時代の始まりは [編集]
箸墓古墳は、宮山型特殊器台を出土していることから、その頃に築造されたと考えられるから、古墳時代は終末型特殊器台・特殊壺が現れた頃に始まると考えてよい。 箸墓古墳(280メートル)の他に、西殿塚古墳(219メートル)、天理市の中山大塚古墳(120メートル)、橿原市の弁天塚古墳(およそ100メートル以上)などの比較的大型で前方部が撥形で最古式の前方後円墳から宮山型特殊器台が発見されている。宮山型特殊器台は吉備で1遺跡から、大和で4遺跡から出土しているが、どちらがはじめに作り始めたかは分かっていない。

2009年03月14日

マダラの騎士像

マダラの騎士像は、ブルガリア北東部シュメン州のシュメンの東、マダラ高原の崖に刻まれた中世初期の巨大なレリーフである。1979年にユネスコの世界遺産に登録された。縦2.5 m、横3 mという巨大さもさることながら、それが周りに足場のない地上20m以上の高さに刻まれている点に特色がある。制作方法等は未解明である。

レリーフは高さ100mの断崖の地上23m付近に刻まれている。騎士は右向きで、馬の足元に横たわるライオンに槍を突き刺している。ワシが騎士の前を飛び、犬が騎士の後ろに従っている。この情景は、象徴的な形で戦勝を描いていると見なされている。
ドリーム ミリバ すぐき菜 ちそう パンプ ハーフ カバー しゃるどね リニュ バイオ カリソウ ノータック キシャー スモー スンドゥ ずっき じゅんか チンチラ ブタジ カーネ ロゴ チェック アクシオン ロメン 銀色の雨 マスタ ミーゴー パエリ きんあか ディン ワスプ ハロー ジスト パレード たーつぁい オテコ オープン たまりん ジャグ メラノ カーコン ツガWEB アプリ オービタル ハーフ ナビ夕立 エスアイ つくし プレイシ ハイブ

この記念碑は710年頃に描かれたと推測されているが、これはつまりブルガール人のハーンであったテルヴェル(Tervel)の治世下の制作であることを意味する。そして、この線で理解した場合、描かれている騎士はテルヴェル自身で、7世紀末にブルガリア北部に居を定めて、現在のブルガリア人に連なる土着のスラブ人たちとまじわったブルガール人たちの遺産であるという仮説が支持されることになる。

ただし、後述の碑文の問題から、もう少し時代を下らせる見解があるほか、古代トラキア人に結び付けて、トラキア人の神を描いたとする仮説や、聖ゲオルギウスを描いたものだとする説などもある。

碑文 [編集]
この騎士像の周りには、中世のギリシャ語で3つの断片的な碑文が記されている。それは、この時期のブルガリア史を考察する上で重要な情報を含んでいる。

ブルガリアの古典学者Veselin Beshevlievとその著『原ブルガリア人』によれば、3つのうち最古の碑文はテルヴェル(在位695年 - 721年)のもので、騎士像もその頃に描かれたものだという。あと2つの碑文は、その後のハーンのクルム(Krum, 在位796年 - 813年頃)とオムルタグ(在位814年 - 831年)に関わるもので、在位の順に刻まれたのだろうという。

2009年02月25日

電人ザボーガー

犯罪組織Σ(シグマ)団対警視庁及び秘密刑事・大門豊との戦いを、Σ団のロボット対大門が乗るオートバイが変形するロボット・ザボーガーとの戦いを交えて描く。前作『鉄人タイガーセブン』がその重苦しく陰惨なストーリーが災いして視聴率的に失敗した反省から、ブルース・リーの『燃えよドラゴン』のヒットにより巻き起こった空手ブームを意識した大門の空手アクションも盛り込んで低年齢層を意識した明朗なヒーローアクション活劇として作られたが、大門とザボーガーの人間とロボットを越えた絆など、重厚なドラマ性も充実している。 また商業的にも成功し、本作の玩具を販売したブルマァクに期待以上の利益をもたらした。

ロボットは全て等身大(ジャンボメカを除く)。
第40話以降は新たな敵が現れ、ザボーガーもパワーアップする。

ストーリー
訓練を終えて帰国したばかりの秘密刑事・大門豊は、父である大門博士が開発した新エネルギー「ダイモニウム」を狙う犯罪組織Σ(シグマ)団の刺客、アリザイラーに殺害されてしまった。しかし豊は、父によって埋め込まれていた特殊なペースメーカーの力で甦った。電極回路(ペースメーカー)の発する「怒りの電流」で大門のオートバイ「マシンザボーガー」から変形して起動するパートナーロボット「ザボーガー」(等身大)と共に、大門豊はΣ団とそれを率いる悪之宮博士に対し、敢然と戦いを挑む。

スタッフ
企画:別所孝治、鷺巣富雄
プロデューサー:松原久晴、石黒光一、篠原茂
原案:小池一雄(名義のみ)
企画協力:スタジオ・シップ
監督:奥中惇夫、岡屋竜一、山田健、村石宏美、中西源四郎、湯浅憲明、鈴木俊継
脚本:しのだとみお(篠原茂のペンネーム)、まつしまとしあき、安藤豊弘、高階完二、高久進、高橋二三、山崎晴哉、祝雅治、上原正三、新井光、森田太郎、藤川桂介、鈴木二郎
操演:中島徹郎
合成作画」鷺巣富雄、渡辺善夫
造形:アルファ企画、ゼン工芸
技斗:菊池英一
スタント指導:高橋正生
音楽:菊池俊輔
主題歌:
 OP「戦え! 電人ザボーガー」(作詞:上原正三/作曲:菊池俊輔/歌:子門真人)
 ED「おれの兄弟 電人ザボーガー」(作詞:上原正三/作曲:菊池俊輔/歌:子門真人)
製作:ピー・プロダクション フジテレビ

キャスト

ザボーガー(スーツアクター):田尻陽一郎、可寺常臣
ナレーター:岡部政明、渡部猛、岡部健

登場人物の紹介
] 全話共通
大門豊(だいもん ゆたか):山口暁
インターポールにより地中海にあるコルタ島で訓練を受けた「秘密刑事」と呼ばれる警視庁所属の特命捜査官。素性は警視総監と大門博士の知己である新田刑事しか知らない。少年時代、心臓が弱かったため、対応策として大門博士が開発した電極回路を埋め込まれ、この電極回路から発生される「怒りの電流」で犯罪捜査用ロボット・ザボーガーを起動させる。感情を露にすることが多い非常に熱い青年。非常に屈強な男でジャンプ力は50mとさせている。
その身体能力は、少年時代に虚弱だったというのが冗談としか思えないほど常人離れ(数十メートルのジャンプ力や、倉庫の壁を貫通するパンチ力、至近距離での砲撃を受けても平気など)しており、中国拳法なども生かした格闘技で、Σ団サイボーグ戦闘員をはるかに上回る戦闘力を見せ、ザボーガーに頼らずにΣ団のサイボーグ戦闘員を素手で片づけるほどである。倉庫の壁を貫通して戦闘員の顔面にパンチをヒットしKOするという描写もある。必殺技は飛竜三段蹴り。
肉体派ではあるが科学知識にも精通しており、ザボーガー基地内では度々白衣に眼鏡というスタイルで各種実験や分析を行っている。
新田浩:神谷正浩(第1話~第24話、第28話~第36話、第38話、第40話~第52話)
新田警部の息子で小学校三年生。第51話で瀕死の重傷を負い、第52話で一旦息を引き取るが電極回路を埋め込まれた事により蘇生した。
中野刑事:きくち英一(第1話~第24話、第27話~第47話、第49話~第52話)
新田警部の部下。当初は大門を「秘密刑事」とは知らず新米扱いしていたが、後に大門が秘密刑事である事を知ってからは大門に協力するようになる。落語が得意(第16話)。水虫を患っており緊張すると足が痒くなる(第20話)。好物はでん六豆(第37話)。 新田警部がフランスに行った後も「恐竜軍団」との戦いにも大門に協力する。
武田博士:田中力(第25話、第41話)
大門博士の親友。大門博士の依頼でザボーガー基地を設計した。また、マシーンザボーガーとマシーンバッハの合体を考案。

Σ編
主人公側
大門勇博士:細川俊夫(第1話、第2話、第4話、第27話)、声:北山年央(第52話)
電人ザボーガーの開発者でダイモニウムの発明者。悪之宮への協力を拒んだ為に殺され、ダイモニウム発生機を奪われてしまった。プロローグの時点ですでにΣ団に殺されており、本編に登場する大門博士は回想シーンか敵が差し向けた偽者としての登場のみであった。
新田大五郎:根上淳(第1話~第16話、第18話~第24話、第28話、第29話)
かつて大門博士との交友があった警視庁の警部で、その縁で大門豊の後見人でもある。大門や中野の良き上司で「勉強が足らんよ」が口癖である。第29話の最後でインターポールの研修のため、パリへ旅立った。なお、当初は織本順吉がキャスティングされていたらしい。
新田美代:星野みどり(第1話~第24話、第28話~第36話、第38話)
新田警部の娘で高校生。母親に先立たれたため、家事も担当している。新田警部が旅立った後はザボーガー基地で通信係を担当した。第40話で外国へ留学した。

Σ団
悪之宮博士:岡部健(第1話~第25話、第28話~第35話、第37話~第39話)
Σ団のボスで科学者。大門勇とは旧知であるが、ダイモニウムを手に入れるために彼を殺害する。冷酷な性格で度重なるザボーガーの活躍によって作戦に失敗した部下を平然と殺す。黒のタキシードに指輪をはめ顔の半分がロボットとなっている。足が不自由で機銃などを仕込んだ車椅子を常用している。また、左足の義足にはナイフを仕込んでいる。39話で竜面隊に襲われダイモニウムを強奪されてしまう。皮肉な事に、最期はチェーンパンチを受けて車椅子から落ちたところを車椅子に仕込まれていた機銃で撃たれてしまう。
ミスボーグ:藤山律子(第1話~第22話、第24話~第27話、第30話~第33話、第35話)
Σ団の幹部の一人。博士の秘書。前線指揮を担当するが大門の前に失敗を重ね、第31話で小型爆弾を飲まされた。最期は悪之宮によって爆弾を作動させられ、爆死した。サイボーグ体になって活動する事も可能だが、第1話で飛龍三段蹴りを受けて敗退し、第2話を最後にサイボーグ体になる事はなくなった。普通の女性に変身することもある。普段は頭に2本のアンテナをつけた銀のボディに大きな黒マントをまとう。マントを使って瞬間移動や、相手の攻撃を防ぐ技を持つ。博士の車椅子を押す事もある。
レディボーグ:吉田多永子(第37話~第39話)
ミスボーグの後任。Σ団前線基地で指揮を執った。口紅型の爆弾を所持しており、時速50キロで走ることもできる。だが、大した活躍も見せられないまま竜面隊の襲撃の前に敗れ去った。
秋月玄(あきづき げん):風戸拳(第22話~第30話、第34話~第38話)
高性能バイク・マシーンホークを駆る男。孤児で悪之宮によって育てられ、彼の恩義に報いる為にΣ団の一員に。大門を敵視して何度も挑戦してきた。正々堂々戦う事を身上としており、少しでも誤解が生じると「卑怯だぞ!大門!!」と逆に大門を非難するほどである。サンダーパンチを必殺技とし、再登場後の必殺技はハリケーンパンチ。彼の頭の中にあるのは大門を自分が倒す事のみで卑怯な事を嫌うため、悪之宮の指令に背く事も多々あった。そのため、頭に鉄の輪をはめられ、悪之宮によって鉄の輪を締められる事が多かった。一旦は飛龍三段蹴りの前に敗れ、鉄の輪も壊され、姿を消したが、大門を倒すために再登場。再登場直後に孤児の冬子と知り合い、彼女と仲良くなった。だが、皮肉な事に冬子から貰った腕輪と冬子自身の存在が第二の鉄の輪となってしまった。第38話で大門との勝負に敗れて重傷を負い、冬子のいる太陽の家へ去って行った。その後の生死は不明。なお、当初はマシーンホークがロボットに変形する事も考えられていたが、予算の関係のためか映像化されずに終わっている。
オフチ ふくち ブラン ぶんかく プラント スマ フロック トトッ メタロ ダイオプ ブリキア パタゴニア ライン パラメータ ジューク ハンガー ビエン きつね ピラミッド ビールス バーテン トパバス パーマワ チュリア しろくま そうこ ハラーム ヒューズ デスバ ループ ティーツ ライブ イペリッ ナビオギ シーディ イザベ アカシア こじゅう オールロ ゼット パートナ リソース レサーチ シュツルー ケオキキ レモン ピッチ ラック まくわ トータル

その他
冬子:戸川京子(第34話、第37話、第38話)
ふとしたきっかけで秋月と知り合った少女。孤児院の太陽の家でずっと育った。母の形見である腕輪を秋月に渡したが、皮肉な事に腕輪と冬子自身の存在が第二の鉄の輪になってしまう。

恐竜軍団編
主人公側
松江健(まつえ けん):坂大龍也(第40話~第52話)
浅尾由紀の幼馴染。企画書では浅尾博士の弟子であり、マシーンバッハの開発も担当したという設定があった。当初はテントで暮らしていたが、スタンパーに襲われて悪魔ハットが健に化けてマシーンバッハを奪う事件が発生したため、第46話からザボーガー基地に住み込むようになった。大門よりも若いためか血気にはやって失敗する事が多い。ストロングザボーガーは大門の指令だけでなく、彼の指令でも活動可能(第42話~第45話)。なお、ストロングザボーガーへの指令にはかつて大門が使用していた携帯型マイクを使用する。
浅尾由起:本木紀子(第40話~第47話、第49話~第52話)
三ツ首の秘密を知る浅尾博士の一人娘である為に恐竜軍団に命を狙われた。大門と出会ってからはザボーガー基地に住み込むようになった。第49話では健の発案で大門の身代わりになってマシーンザボーガーに乗った。

恐竜軍団
悪魔ハット:遠矢孝信(第39話~第52話)
恐竜軍団に服従する科学者。三ツ首伝説を探る浅尾博士に無理矢理着いていき、三ツ首竜を蘇らせた。その後、竜面隊を率いてΣ大魔城を襲撃。ダイモニウム発生機を悪之宮から奪った。頭にかぶる帽子の鐔には刃が仕込まれており、何でも切り裂いてしまう。最期は柱の下敷きになって死亡した。ザボーガー基地を破壊した爆弾ハットという弟がいる。
王女メザ:堤光子(第39話~第52話)
三ツ首竜の部下。三ツ首竜同様、永い眠りについていた。不気味な女の首をかたどった紋章をつけた杖を常用し、武器として使用。竜面隊を率いる他、自ら変装して諜報活動も行なう。最期は三ツ首竜と悪魔ハットともども、柱の下敷きになって死亡した。
魔神三つ首:声丸山詠二
恐竜軍団の首領。神奈川県龍虎村にある魔神山の魔神窟に潜んでいる。下半身は化石化しており、自ら動き回る事はできない。最終的な目的は世界の6大陸を沈め恐竜帝国を作る事だった。 最期はストロングバズーカファイアーの連射を受け、ストロングザボーガーと相撃ちとなった。

ザボーガーの詳細
電人ザボーガー(第1話~第40話、第51話)
大門博士が製作した犯罪捜査用ロボット。
全長2メートル。重量500キロ。耐荷重量35トン。出力5000馬力。
動力源はダイモニウム。
博士の息子で警視庁の秘密刑事である大門豊が操縦する。
普段はオートバイ形態(マシーン・ザボーガーと呼ばれる)をとっており、操縦者の命令で人型に変形することが可能。
大門豊に埋め込まれた電極回路から発せられる「怒りの電流」がロボット形態時の起動キーになっている。彼のヘルメットに内蔵されたマイクの他、携帯型のマイクからの指示に従うが、大門が共に戦闘することが多いため、受けた命令からある程度の自律判断が出来るようになっている描写が見られる。
マシーン・ザボーガーは地上では時速300キロで水上では時速130キロで走行可能。
武器はチェーンパンチ、ブーメランカッターなど。必殺武器は口部に装備された速射破壊銃。
他にも頭部に偵察用のヘリキャット(リモコンヘリ)、両足部にマウスカー(小型リモコンカー・両方の足から右半分と左半分の半分ずつに分かれて出た後、一体化する)、背中にシーシャーク(小型ジェット機)を内蔵し、潜入捜査や情報収集に使用する。
なおマシーン・ザボーガーの形態でも小型メカやチェーンパンチや速射破壊銃を使用可能。
Σ団編の前期に登場したメカアニマルやメカボーグの前では無敵を誇ったが、Σメカ(○○ガンダーと呼ばれる車両型大型ロボ)や、恐竜軍団のメカアーミィの前には苦戦を余儀なくされた。
恐竜軍団のメカアーミィ1号のガラキに敗れた(第40話)後は、51話で登場するのみである。これはザボーガー基地を失ったためにダイモニウムエネルギーの補充ができずにダイモニウムエネルギーが枯渇寸前となったための苦肉の策だったが、メカアーミーのギラリにはまったく通用せず、悪魔ハットからは旧式ロボット呼ばわりされていた。
大門にとっては父の形見であると同時に、犯罪捜査を共に行うことから愛着が強く、ロボットであるザボーガーをまるで弟のように扱うこともある。
ストロング・ザボーガー(第41話~第52話)
松江健が操るバズーカ砲搭載オートバイ「マシーン・バッハ」とザボーガーが合体した姿。なお、マシーン・バッハに取り付けられている2門のバズーカ砲はバッハ・ボルトと言い、外して普通のバズーカ砲として使用することも可能。
大門だけではなく健の指令でも活動可能。
全長2メートル。重量800キロ。耐荷重量80トン。出力は電人ザボーガーの2倍。
武器はジェットブーメラン、ロケットチェーンパンチなど。必殺技は腰部に装備されたバズーカ砲によるストロング・バズーカ・ファイアー。
第51話でダイモニウムエネルギーが枯渇したが、第52話で怒りの電流により復活。だが、三ツ首竜との戦いにおいて、ストロング・バズーカ・ファイアーの連射によってオーバーヒートを起こして自爆してしまった。

2009年02月09日

北・東アフリカ史 /地中海・サハラ

アフリカ大陸の3分の1を占めるサハラ砂漠は、時代によってその様相が大きく異なり、そこへ住む人類の生活環境に絶大な影響を与えた。2万年前から1万年前の乾燥期には南方に大きく拡大し、熱帯雨林地帯が殆ど消失するまでの規模になっていたし、1万年前から5000年前ごろの湿潤期には逆に砂漠地帯がステップ化するなどし、前述の「緑のサハラ」と呼ばれる時代もあった[17]。そして以降はほぼ現在と同じ砂漠化した不毛な大地が広がる地域となった。
ただみま まおい プロト 光の子 クロスス マンドゥク パロア 変革生活 ポケット コバンソ レスク 白い花 めんこ シュズ モンス ゼルス リュウ カイヤ ハマヒ フォーク ダイア モダリティ いきこう ジアル セーブル フロー ぴかいち さんめし しぎやき オーバ ナビ本陣 海のミネ ナビ朱鳥 NO1里芋 たきかわ にしめ ゾンデ ミストレス マート キシロース オルゴール ディーラム フライ カスタード ツリー 十三夜 フアラ くまざさ ノット クォーツ

岩壁画サハラ砂漠地域に人類が定着した歴史はかなり古くから存在[18]するが、ラクダを使用した砂漠の横断が行われ始めるのは紀元前後で、それまではサハラ南部と地中海側の砂漠化した地帯を越えての交易は行われていなかったと考えられている[19]。サハラには紀元前3000年ごろよりベルベル人が居住していたが、紀元前8世紀ごろより、フェニキア人によって建国されたカルタゴによって北アフリカ沿岸一帯が支配下に組み込まれるようになる。紀元前146年、ローマ帝国によりカルタゴが攻め落とされると支配下地域はさらに南下し、ローマの属州として分割統治がなされた。この頃、ディアスポラと呼ばれるユダヤ人も多数北アフリカへ定着し始めたが、118年のキレナイカでの反乱をきっかけにローマ帝国による厳しい弾圧がなされるようになると、サハラ奥地へ移住していった。

7世紀後半になり、地中海沿岸がオスマン帝国の支配下に組み込まれるようになった頃、サハラを越えた南北の交易が活性化していった。これらの交易はマグリブ地域においてベルベル人によって建国されたアグラブ朝、イドリース朝、ルスタム朝などの王朝の主導によって行われていたと見られている。しかし、11世紀中ごろ、ムラービト朝が興り、サハラ交易の主導権を獲得した。

ナイル川水界
ナイル川水界
ナイル川
メロエのピラミッド上空写真ナイル川はザイールとウガンダの国境から流れ出る白ナイルとエチオピアのタナ湖から流れ出る青ナイルから成り、エジプトへと流れるアフリカ大陸で最長の大河である。河口には世界四大文明のひとつであるエジプト文明が興った。詳細については古代エジプト、エジプトの歴史および各王朝の記事を参照されたい。

エジプト中王国の時代に入り、ようやくエジプトの記録に、エジプト文明とは異なるクシと呼ばれる人々によるアフリカの王国、ケルマないしケリーマ王国[20]についての言及がなされている。ケルマ王国は、アフリカ最初の黒人王国[21]と言われ、そのピークはエジプト第2中間期頃とされる。発掘調査によって、数千基に及ぶ墳丘墓が集まった墓地とデフファ(deffufa)と呼ばれる巨大な日干し煉瓦の塔のような遺構が二つ確認された。墳丘墓のなかには、直径91mに達するものがあり、300~400人近いいけにえが墓の主のためにささげられたと考えられている。東側のデフファは、墓地の中にあり、礼拝堂のようなものであったと考えられ、西側のデフファは、交易に伴う集荷場と加工製品を作る工房か交易をつかさどる監視所のような役割を持っていたと推察される。西側のデフファの近くには都市的ともいえる住居遺構の集中がみられた。ケルマ王国はエジプト王朝と同盟関係を結び、その文化と技術を吸収していった。しかしエジプト新王国が樹立するとその支配下に組み込まれてしまい、トトメス1世の時代には滅亡してしまう。

紀元前900年ごろにナイル上流のナパタに興ったクシュ王国[22]がエジプト第22王朝、エジプト第23王朝を滅ぼし、エジプト第25王朝を開く[23]。しかしアッシリアの侵攻に遭い、紀元前656年に滅亡、ナパタへと引き上げていった。ナパタにあるジュベル・バルカル、エル・クル、ヌリ、サナムには、墓地と神殿が築かれた。特にジュベル・バルカルには、ラムセス二世が築いたアモン神殿がありクシュ王国の精神的なよりどころとなった。ナパタにあるクシュの「王墓」は、小さなピラミッドで覆われる特徴があり、ミイラを作る習慣もあった。都市と呼べるような大規模な集落跡があるとすればサナムであるがそれを想起させるような遺構は発見されていない。その後クシュ王国は首都をナパタからさらに南のメロエへ移動させ、そこへメロエ王朝を造り上げた。

メロエでは太陽神アメンをはじめとするエジプトの神々とライオン神アペデマクなどの地域の神々を融合した宗教観念を持ち、エジプト文字を改変したメロエ文字を使用するなど、独自の文化を築き上げていった。クシュ王国がメロエへ遷都した理由として、農耕や牧畜を行える広い土地があり、製鉄を行うのに必要な燃料を確保できる森林があったこと、紅海とエチオピア高原、はるか西方のチャド湖をつなぐ交易の要衝であったこと、エジプトから政治的文化的に独立し、影響力を断ち切るのに都合がよいことなどの要素があったと考えられている。メロエは、1km×750mの範囲に広がり、内部を石壁で方形に区切り、その区画ひとつひとつに外面を焼き締めた煉瓦で覆った日干し煉瓦の壁を複雑に入り組ませていた。研究者たちが、「ローマ浴場」と呼ぶような凝ったレリーフを施し、井戸から水を引く煉瓦を敷き詰めたプールの遺構も確認されており、憩いの場としての浴場が造れるほどの余裕があったことを示している。

メロエの西南西100kmほど上流にワド・ベン・ナカで相当規模の街と王宮、神殿があったことが確認されている。ワド・ベン・ナカの王宮は、50m×50mの正方形をしている少なくとも二階建ての建物で、真南に入口があり、砂岩でできた列柱の間がエントランスとして設けられている。壁は日干し煉瓦を焼き締め煉瓦でおおい表面を白い漆喰で塗っていた。上の階はほとんど失われていたため、その性格について正確なところはわからないが、下の階は、貯蔵施設で壺がおかれた部屋や、象牙や木材がおかれた部屋などがあった。また、やはりワド・ベン・ナカの南東、メロエから南西100kmほどの地点にあるナカ遺跡では、二ヶ所の広大な墓地と七つの石造りの神殿を伴う大規模な街があったことが確認されている。神殿のうちナカマタニとアマニテレのライオン神殿の外面レリーフには、エジプト風に横を向いて剣を振りかざし、捕虜の髪をつかむアマニテレ女王の姿が刻まれていて、メロエ王朝の権力の大きさと繁栄ぶりを描いている。

メロエ王朝の遺跡からは、エジプトだけでなくギリシアやローマとの影響、交流があったこともうかがわれ、製鉄技術をアフリカ南部へ伝播する役目を担っていたとも言われている。しかしエチオピア北部に興ったアクスム王国によって4世紀頃に滅亡させられてしまう。

メロエ王朝崩壊後、4世紀頃にナイル川流域にヌビア人によってノバティア王国、マクリア王国、アルワ王国という3つのキリスト教王国が作られた。これらのキリスト教の浸透は1000年の長きに渡って続いたが、641年ごろより侵攻をはじめたイスラム教に徐々に駆逐されていき、この地域からキリスト教は消滅する事になる。そして13世紀後半にマムルーク朝との戦争に敗れたマクリアはエジプトの支配下へ、ノバティア、アルワは15世紀にイスラム教徒によって滅ぼされた。

そして15世紀に入ると紅海沿岸を発祥とするフンジ王国が設立、青ナイル流域にまで勢力を拡大していった。15世紀後半にはダルフールの山地にダルフール王国が築かれる。ともに19世紀まで存続していったが、ムハンマド・アリー朝によって滅亡させられてしまう。

エチオピア高原、アフリカの角地域

アクスム市にあるエザナ王の石柱。高さ23mに達する。一方、エチオピア高原へ目を向けると、この地にアクスム王国という国家が1世紀頃に設立されている。イエメン地方から紅海を渡り移住してきたセム語族が築いた王国で、アラビア文化を継承しつつ、独自の文化を育んでいった。4世紀にメロエ王朝を滅ぼしたエザナ王はコプト教を国教とし、ギリシャ、ローマ帝国、そしてそれを受け継いだ東ローマ帝国との港湾都市アドゥリスを通じた紅海貿易で繁栄した。また、コプト教は、庶民へとも浸透していったが、7世紀にアラビア半島がペルシアに支配され、周囲のイスラム化が進むと、孤立し、交易ルートを断たれたアクスム王国は衰弱の一途を辿った。

ラリベラのギョルギス聖堂。岩窟教会のひとつ。11世紀頃にやや内陸のラスタ地方からザグウェ朝が興り、世界遺産になっているラリベラの岩窟教会群が造られた。13世紀後半、アクスム王家の血筋を名乗るイクノ・アムラクがラスタ地方の南方、アムハラ、ショア地方から挙兵して、1270年、ザグウェ朝を倒し、ソロモン朝をひらいた。ソロモン朝は、交易によって結びついたアムハラとショアのキリスト教勢力とイスラム教勢力の連合体とお互いの勢力の均衡の上にのっていた。イクノ・アムラクの孫、アムデ・ション(位1314~44)の時代に遠征をおこない、タナ湖の北方のユダヤ(ファラシャ)人勢力、東方のアデン湾からアワシュ川流域に住むイスラム教勢力を支配するのに成功した。しかし、アワシュ川流域に住むイスラム教勢力は、ソロモン朝の有力な隣国であるイファトのスルタン国に接近することになったが、アムデ・ションは、イファトのスルタン、ハケディンの領内で、キリスト教徒がイスラム教徒に捕まえられて奴隷として売られた事件を口実にイファトを攻撃して、これを打ち破り、駐屯部隊を置いて支配した。イファトの属国化によって他の小スルタン国もアムデ・ションの支配下にはいることになり、ダワロとシャルハなどアムデ・ションにつく交易都市も出現した。ソロモン朝の時代には大きな都市は造られることはなかったが、これは、ソロモン朝の皇帝が移動する「宮廷」、つまり、皇帝の家族から騎兵、近衛兵、官僚たちとその家族、皇帝の一族や文官、武官たちのために教会を運営する僧侶たちをひきつれたキャンプによって国土を支配した。征服地には、全く別の場所から連れてきた言語、民族が異なる兵士からなる駐屯軍がおかれ、小さな反乱であればすぐに鎮圧し、鎮圧が困難であれば、近隣地から援軍が来る仕組みになっていた。ソロモン朝は、強大化した軍隊と富とを背景にエチオピア教会を保護したため、イスラム教徒に不満がくすぶるようになっていった。エチオピアでのイスラム教徒の自由や安全、利益を守ることを要求するマムルーク朝に対し、エジプト国内のコプト派キリスト教徒の自由や安全、利益を守ることを要求して強硬な態度をとっていた。また、ゼラ・ヤコブ(位1434~68)の時代にはヨーロッパに使節を送り、ヨーロッパ人の職人、技術者を連れ帰ることに成功した。しかし、ゼラ・ヤコブの死後、帝国の安定は息子のビイデ・マリヤム(位1468~78)の治世までしか維持されず、後継者争いで衰退の一途をたどり16世紀前半に起こったイマーム・イブン・イブラヒムによる反乱によって決定的に崩壊することになる。

キルワ・キシワニの大モスク跡一方、東アフリカ沿岸部は、古来からスワヒリの語源となる「縁」という意味のスワーヒルと呼ばれ、イスラム商人によるインド洋交易がさかんで、多くの港湾都市が繁栄したことでしられる。それを支える東アフリカのスワヒリ人たちの通常の生業は、農業と漁労であった。10世紀の著述家であるアル・マスウーディーによるとココナッツ、ヤムイモ、バナナ、アズキモロコシを栽培していたと伝えている。また15世紀のポルトガル人の著述家によると、ウシ、ヒツジ、ヤギなどを飼い、サトウキビや綿花を栽培していたことを記述している歴史家もいる。綿花については、出土品に紡錘車がみられることからも綿織物がつくられていたことがわかる。一般の人々の家は、草やヤシの葉などで屋根を葺いて壁や柱を粘土や木材でつくった家であった。これらの家が集まって村落を形成し、規模が大きくなると都市になった。[24]。 一方で、キルワにみられるように都市に住む人々のうち裕福な者は石造りの家に住み、宮殿や大モスクは、数階建ての建築物であった。漁労で得た貝殻は、さまざまな形の容器やビーズ、スプーンを作るのに用いられた。また貨幣に使用されたおびただしい量のタカラガイ(小安貝)が東アフリカ沿岸の集落、都市遺跡からは発見される。

9~10世紀ころには、マリンディのやや北方にあるマンダ島が交易の中心として繁栄していたことがわかっている。マンダ島で発見される遺物にはサーサーン朝以来の伝統をひきついだイスラム陶器[25]、13世紀に相当する元代の青磁、乾燥させた素地に顔料を混ぜた化粧土を塗って一部を掻き落とす技法を用いたスグラフィート陶器などが発見されている。 東アフリカで交易で繁栄した町として知られるのは、キルワないしキルワ・キシワニ(「キルワの島」の意)が挙げられる。10世紀から12世紀ころにイラン南西部の都市シーラーズから渡ってきたアラブ人のグループによって商業拠点が造られ、シーラーズ王朝がつくられたのがはじまりとされている。アラブ人とペルシャ人と現地の人々との混血が行われて、人種的にも文化的にも独自の発展をとげることになる。

12世紀以降、アフリカ東海岸は、ラム群島とザンジバル(古名ウングジャ)を経由し、キルワに至る交易路が形成された。キルワ・キシワニが発掘調査された結果、前述したように貨幣に用いた多量のタカラガイ、各種のイスラム陶器、ガラス製品、紅玉髄や石英を加工して作ったビーズ、マダガスカル産の凍石を加工して作った壺などが発見された。また、12世紀中葉以降、宋代の青磁を輸入するようになった。一方マリンディとモンバサは、豹の皮と鉄製品を輸出していたことで知られていた。マリンディの南方にある港町ゲディはアラブの史料には記載されていないが、黒と黄の文様がほどこされたイスラム陶器、緑釉をかけたスグラフィート陶器を輸入し、このころから繁栄していたことが考古学的調査で判明している。

アラブの歴史家ヤークート・ビン・アブダラー・ハマウィーは、13世紀のモガディシュについて、東アフリカでもっとも著名な都市のひとつであること、住民がイスラム教を信仰するアラブ人で、混血の人々もいること、彼らが複数のコミュニティをつくって生活していることを述べている。当時のモガディシュは、黒檀、白檀、象牙などを輸出していた。ヤークートは、キルワについて現在では知ることのできる最古の記録[26]を残していることでも知られる。彼の記録によるとキルワは島ではなく沿岸に築かれた街であること、またザンジバル島についてもラングジャ・ウングジャという名で記述しており、独立した国家があって交易の中心都市として繁栄し多くの船が寄港していた様子についてのべている。このことは、先述したポルトガル人歴史家がキルワについて多くの大型船が寄港していたこと、その大きさは50トンのキャラベルと呼ばれる大型の帆船にも決して引けを取らない立派なものであったと述べているがそのような船が200年前からアフリカ東海岸とインド洋を航行していたことを想像させる。 13世紀中葉のキルワは、サンジェ・ヤ・カティ島の島民と考えられているジャンガとの抗争の末、これに勝利し14世紀初頭になって、アブル・マワーヒブ王朝のもとで大きく発展を遂げた。多量のスグラフィート陶器、宋代の青磁を含む磁器、浮彫文様が施された香料などを入れる瓶や巻き玉や管玉などのビーズ類に代表される多量のガラス製品がこの時期に輸入されていることがその繁栄を物語っている。ゲディでは、キルワと同様なイラク、イラン産のイスラム陶器、浮彫文様が施された香料などを入れる瓶などのガラス製品が輸入されている。

14世紀のアフリカ東海岸の様子については、イブン・バットゥータによってモガディシュが交易の中心地であって、商人たちは、モガディシュの住民たちの中から信用できる人物を代理人として選び、交易に伴う取引の仕事を任せるようになったと記述されている。またバットゥータが1331年にキルワを訪れた際、人口は1万2千人に達したこと、キルワのスルタン(王)は、海岸沿いの断崖に宮殿を築いていて「アブ・アル・マハウィーブ」(贈り物をする父)と呼ばれていたことを記録している。キルワでは、この時期中国産の陶磁器の輸入量がイスラム陶器を大きく上回るようになった。イスラム陶器のうち主要なものを挙げると、アデン産と考えられるつや消しの行われた黄色い釉薬をかけた黒色文の粗製陶器が主体であった。ゲディでは青緑釉のラスター彩陶器が輸入され始め、ガラス製管玉、巻玉のビーズと赤い胎土の球形ないし円筒形のビーズは輸入され続ける。14世紀の後半には、明るい緑色釉をほどこし、厚手で球状を呈したイスラム単彩陶の最古段階のものが見られるようになる。中国産の陶磁器のうち主なものは、福建省の龍泉窯産の青磁連弁文碗、磁州窯産などの白地黒掻き落としなどが代表的なものであった。

15世紀は、キルワが、支配階層の抗争によってゆっくり衰退する時期と考えられているが、輸入陶磁器の量は増えている。イスラム単彩陶は、緑から青緑色のものであり、中国産の陶磁器は、青磁や青白磁が主体で、ビーズはほとんどが赤い管玉になっている。輸出品は、金、犀角、奴隷、象牙、真珠、貝殻類であり、東海岸の北部では豹皮を輸出する街もあった。ゲディは、明の青花と白釉と青釉のラスター彩陶器を輸入していたことがわかっている。

2009年01月23日

まんがライフオリジナル

『まんがライフオリジナル』は竹書房発行の4コマ誌。略称はライオリ。発売日は毎月11日(ただし、流通事情により前後する)。定価は330円(290円から数度改定)でB5版、中綴じ。共通雑誌コード:18319。

1988年7月11日にまんがライフオリジナル8月号として創刊。
キッド マロン マーブル モーダル メープル ピュア スポア 九月の砂 カトブレ ほわい ワイヤー シャム モード イグサ チカツ レーザー ルイス WEB大葉 ブリッジ ルーマニア ネチケット アイド タランチ キャラメル オフェンス ハラタ ヒット メーザー イヤリング ルバッ なかにい 片道切符 いろんな いばば ねっび ローブ アスク リカレ フライト グアバ ナチガイド トライア ブイヨン シャンビ ゼムクリ スケルツォ ナビハズ ビビッド むぎこうじ マッシュル

『まんがライフ』同様、ファミリー向け4コマ誌として創刊。2000年前後から青年・女性向け4コマの要素も取り入れつつあるが、竹書房刊の他誌と比較して作品群のスタイルの変化は少ない。萌え系4コマ路線の取り入れについては、ももせたまみ作の「せんせいのお時間」の連載が1997年よりスタートするなど、他誌よりも早めであったが、2003年6月に創刊された『まんがライフMOMO』への同作品の移籍と同時に、その役割も同誌へと移された。

2006年10月号より、吹きだし・見出し等に使われる書体が写植系のものからDTPのものに切り替わっている。

表紙の変遷
4コマ誌においては、他のジャンルの漫画雑誌と異なり、メインとなる表紙イラストが1名の作家によって複数月連続して担当される、という特徴がある。また、竹書房の同種雑誌の場合は通常、表紙は巻頭カラー作品と同一であり、文字どおり看板作品である。ここでは、本誌の表紙イラストを担当していた作家・作品と、その担当していた期間を記す。

田中しょう(はっさく君)(創刊号 - 19xx年x月号)
秋月りす(かしましハウス)(199x年x月号 - 2003年5月号)
秋月りす(おうちがいちばん)(2003年6月号 - 現在)
2005年6月号よりロゴ等リニューアル

現在連載されている主な作品
連載開始号の古い順(2009年2月号時点)
エデンの東北(深谷かほる、19xx年x月号 - )※ショートストーリー
がんばる父さん(田中しょう、19xx年x月号 - )
奥様うでまくりっ!(野中のばら、199x年x月号 - )
だってヤンママ(すみれいこ、19xx年x月号 - )
おバカさん(平岡奈津子、19xx年x月号 - )
とーこん家族(よしもとあきこ、199x年x月号 - )
貴美tallest→貴美TALLEST(美月李予、200x年x月号 - )※2004年7月号より改題、『まんがライフ』にて並行連載(終了)
ういうい♥days(犬上すくね、2002年5月号ゲスト・2003年2月号ゲスト・2003年5月号 - )※ショートストーリー、ゲスト作改題
おうちがいちばん(秋月りす、2003年6月号 - )
ちぃちゃんのおしながき(大井昌和、2002年12月号ゲスト・2003年6月号 - )※『まんがくらぶオリジナル』にて並行連載
ファイト!息ぎれOL(吉田美紀子、2004年10月号 - )
セトギワ花ヨメ(胡桃ちの、2005年6月号 - )
動物のおしゃべり♥(神仙寺瑛、2005年10月号ゲスト・2006年1月号 - )※『まんがライフ』にて並行連載
12月生まれの少年(施川ユウキ、2005年12月号ゲスト・2006年9月号 - )
ひとねこペネ(いがらしみきお、2006年11月号 - )
東京眼鏡(あらい・まりこ、2006年2月号ゲスト・7月号ゲスト・2007年1月号 - )※『まんがくらぶオリジナル』にて並行連載(終了)
ご契約ください!(東屋めめ、2006年6月号ゲスト・9月号 - 11月号短期連載・2007年2月号 - )
カギっこ(山口舞子、2007年3月号 - )※『まんがライフMOMO』にて並行連載
クロジとマーブル(富永ゆかり、2007年4月号ゲスト・7月号 - )※『まんがくらぶオリジナル』同時連載
猫実カフェ(丹沢恵、2007年7月号 - )
合金さんちの日常(松田円、2006年10月号ゲスト・12月号ゲスト・2007年8月号 - )
ばつ×いち(おーはしるい、2007年4月号ゲスト・10月号 - )
全力委員長(のしお、2007年1月号ゲスト・5月号 - 7月号短期連載・10月号 - )
中央モノローグ線(小坂俊史、2008年3月号 - )
店長の憂鬱(碓井尻尾、2007年6月号ゲスト・11月号 - 2008年1月号短期連載・5月号 - )
野生のじかん(カラスヤサトシ、2008年6月号ゲスト・9月号 - )
ベルとふたりで(伊藤黒介、2008年9月号 - )※『まんがくらぶオリジナル』にて並行連載
しょっぴんブギ(佐藤両々、2005年11月号ゲスト・2008年5月号ゲスト・9月号 - 11月号短期連載・2009年1月号 - )
なごみクラブ(遠藤淑子、2005年10月号より不定期・2009年2月号 - )※ストーリー形式
企画
かしましハウスでイングリッシュ!!(秋月りす、2001年2月号 - )
人生ロシアンルーレット(深谷かほる、2005年6月号 - )
オリエちゃん(西田協子、2005年6月号 - )※フロム・リーダーズ(読者欄)に連載
けものとしなっちょ(みずしな孝之、2005年6月号 - )※目次ページに連載
全ての映画は、ながしかく(施川ユウキ、2007年11月号 - )

現在定期的にゲスト掲載されている主な作品
東京メイト(戸田誠二)※ショートストーリー

長期休載中の作品
なっちゃんはね!?(南ひろこ、19xx年x月号 - 2008年1月号・休載中)

過去に連載されていた主な作品
連載開始号の古い順
オバタリアン(堀田かつひこ、創刊号 - 199x年x月号)
あしたは晴れっ!!(なりゆきわかこ、創刊号 - 2005年5月号)
えんかい君(松田まさお、19xx年x月号 - 2007年11月号)
ときめきカップル(窪田まり子、19xx年x月号 - 2006年12月号)
かしましハウス(秋月りす、199x年x月号 - 2003年5月号)
あしたもゲンキ!(丹沢恵、199x年x月号 - 2001年2月号)
今日のおススメ!(新田朋子、199x年x月号 - 2005年5月号)
ラブミーてんだい!(有間しのぶ、199x年x月号 - 200x年x月号)
なにわOL奮戦記(胡桃ちの、199x年x月号 - 2005年4月号)
くろくま日記(寺島令子、199x年x月号 - 2001年x月号)※エッセイ
のぞみちゃん(山田大吉、199x年x月号 - 2003年6月号)
幕張サボテンキャンパス(みずしな孝之、1996年9月号? - 1999年5月号)※まんがくらぶオリジナルに移籍
せんせいのお時間(ももせたまみ、1997年x月号 - 2003年6月号)※まんがライフMOMOに移籍
どんぐりの丘(五十沢友郎、1997年x月号 - 2005年8月号)
味噌屋さぶれの板前日記(小道迷子、19xx年x月号 - xxxx年x月号)
るすばんの達人(大橋ツヨシ、19xx年x月号 - 1999年5月号)
ピヨピヨぶらざ~ず(内田かずひろ、19xx年x月号 - 2007年6月号)
パソコン・カフェ(陸奥A子、1998年2月号? - 2000年x月号)※ショートストーリー
転がる石のように→中島OL営業中!(高田三加、1998年3月号? - 2002年4月号)※2000年頃改題
犬先生カルテ(森真理、1998年5月号 - 2002年7月号?)
若奥様はテスト中(吉田美紀子、1998年x月号 - 2004年9月号)
ちびとぼく(私屋カヲル、1999年1月号ゲスト・5月号 - 2007年5月号)
喜怒愛楽一家(大橋ツヨシ、1999年6月号 - 2001年2月号)
めもるは何もメモらない(真右衛門、1999年x月号 - 2006年6月号)
サークルコレクション(小坂俊史、1999年x月号 - 2003年10月号)
デパートへようこそ!→ひかるちゃんのデパートへようこそ!(奥谷かひろ、1999年x月号 - 2005年2月号)※2002年頃改題
エブリデイズ(長崎さゆり、2000年x月号 - 2003年4月号)
ころんでもころっけ(小道迷子、2000年x月号 - 2000年x月号)
どきどき姉弟ライフ(後藤羽矢子、2000年9月号 - 2003年4月号)※高校編
天使じゃないもん(丹沢恵、2001年5月号 - 2005年6月号)
ウワサのふたり(小笠原朋子、2001年5月号 - 2006年9月号)
リビング東京(寺島令子、2001年10月号? - 2007年6月号)
うららか de 暮らそ♥(月原こなん、2002年x月号 - 2004年3月号)
のほほんのりさん(森真理、2002年8月号 - 2005年2月号)※『まんがライフ』より移籍
ちとせげっちゅ!!(真島悦也、2002年9月号ゲスト・2003年1月号 - 2007年8月号)※『まんがライフMOMO』へ統合
耕して♥フォーリンLOVE(後藤羽矢子、2003年6月号 - 2006年8月号)
フンティーとレポンちゃん(いがらしみきお、2003年10月号 - 2006年10月号)
ハルコビヨリ(小坂俊史、2003年11月号 - 2008年2月号)
ダメ姉ってよばないで!(新居さとし、2004年10月号ゲスト・2005年2月号 - 2006年1月号)※ゲスト「ダメ姉って呼ばないで!」改題、『まんがライフMOMO』に移籍
よにんぐらし(宇仁田ゆみ、2003年11月号ゲスト・2004年3月号 - 2006年10月号・2007年2月号 - 2008年5月号)
お目覚め!メグちゃん(新田朋子、2005年6月号 - 2006年7月号)
みえちゃうの♥(なりゆきわかこ、2005年6月号 - 2006年5月号)
本日も上場なり(丹沢恵、2005年7月号 - 2007年5月号)
ぼくと姉とオバケたち(押切蓮介、2004年11月号ゲスト・2005年6月号ゲスト・8月号ゲスト・11月号 - 2009年1月号)※隔月連載→2006年7月号より毎月連載
おとなになったら。(k.m.p.、2004年6月号ゲスト・2005年10月号 - 2006年9月号・2007年12月号ゲスト)
ふたつぶいちご♪(逸架ぱずる、2006年4月号 - 2007年4月号)
おいしい日曜日♥(小笠原朋子、2006年10月号 - 2008年12月号)
ゴーイン!!マイクック♥(後藤羽矢子、2006年10月号 - 2008年12月号)
あくまCalling(秋吉由美子、2007年1月号 - 3月号短期連載・5月号 - 2008年10月号)
企画
レッツ!おヨメさん!!(深谷かほる、199x年x月号 - 2002年9月号)
南央美の通販BINちゃん生活(南央美、2000年x月号 - 2003年6月号)※まんがライフMOMOに移籍、イラストももせたまみ
きぐるみ(胡桃ちの、2002年10月号 - 2003年11月号)
うまなみグルメ国体(いのうえさきこ&永浜敬子、2003年10月号 - 2007年8月号)

2009年01月16日

自分を追放した黒党および腐敗したフィレンツェ

ダンテが『神曲』三篇の執筆を始めたのは1307年頃で、各都市の間を孤独に流浪していた時期である。『神曲』においては、ベアトリーチェに対する神格化とすら言えるほどの崇敬な賛美と、自分を追放した黒党および腐敗したフィレンツェへの痛罵、そして理想の帝政理念、「三位一体」の神学までもが込められており、ダンテ自身の波乱に満ちた人生の過程と精神的成長をあらわしているとも言える。とくにダンテが幼少期に出会い、その後24歳にして夭逝したベアトリーチェを、『新生』につづいて『神曲』の中に更なる賛美をこめて永遠の淑女としてとどめたことから、ベアトリーチェの存在は文学史上に永遠に残ることになった。
ダイビ ワサビン ナンピン ライトウイ ブーケ ラケット スーパ スキッダ プラネット 組曲 ナイロン リテラ オーベル シェアリ 白鳳支援 ムート ふるさと ジャパニ キチネッウ ヌビア てかばん クロア パート ラザーニャ ファイター ナポレオン ファタ ウコン パワー ブース ロビューム クーペ ラゴス ユグノー チラム トラサ あわせばお アカ パンフレット スパン バドミン ミレー フルー ミリーカー スカイプ ファン トリプ ハジ カソード シノニム

『神曲』は地獄篇、煉獄篇と順次完成し、天国篇を書き始めたのは書簡から1316年頃と推定される。『神曲』が完成したのは死の直前1321年である。ダンテは1318年頃からラヴェンナの領主のもとに身を寄せ、ようやく安住の地を得た。ダンテはラヴェンナに子供を呼び寄せて暮らすようになり、そこで生涯をかけた『神曲』の執筆にとりかかる。そして1321年に『神曲』の全篇を完成させたが、その直後、外交使節として派遣されたヴェネツィアへの長旅の途上で罹患したマラリアがもとで、1321年9月13日から14日にかけての夜中に亡くなった。客死したダンテの墓は今もラヴェンナにあり、サン・フランチェスコ教会の近くに小さな霊廟が造られている。フィレンツェはたびたびラヴェンナにダンテの遺骨の返還を要求しているが、ラヴェンナはこれに応じていない。